除夜の鐘

 どこからともなく聞こえる除夜の鐘。遠くから低い余韻のある響きはどの方向からか特定できず、近隣の数あるお寺を想像する。よく耳を澄まして聞いてみると、隣の部屋のテレビの音だったりする。
 毎年の行事として、除夜の鐘を聞きながら年が明けると近くの神社に初詣に出かける。両親から聞かされていた百八つの煩悩について思い出す。その煩悩を打ち壊すため梵鐘を撞き、煩悩を消し去った清い精神で新年を迎える、という意味があると聞いた。それはこの時期の大掃除と似ている。一年に溜まった汚れや穢れをこの際だから一度きれいにしたいと願ってのこと。普段の掃除とは違う、気付かなかった場所だったり、気付いていたがそのまま見過ごしていた場所の汚れが対象になる。煩悩とはそんな人として清く生きるうえで必要のない、反って邪魔になる欲望、嫉妬、執着や怒りなどのことなんだろう。何となく見過ごしていると1年でその穢れが油汚れのようにこびり付いているようなもの。
 さて、百八つの煩悩とやらを数えたことがないが、諸説あるようだ。その一説は、人間の六つの感覚(見る、聞くなど)に三つの感情(好き、嫌い、普通)と二つの状態(清い、汚い)を掛け合わせると(6x3x2)36になり、これに前世、現世、来世の3つを合わせて百八となる。なぜ、前世や来世のことも勘定に入れるかちょっと理解しがたい。
 もう一説には、四苦八苦の掛け算と足し算をすると(4x9+8x9)で108というのもある。
 その他、百八の数そのものに意味はなく、たくさんという意味で使われている、という説。私はそれも然りと思ったが、その根拠を示していただかないと納得できない。仏教で表現する数の使い方として、三十三がある。法華経には観音菩薩は三十三身に化身して人々をあらゆる悩み、苦しみから救うとある。あらゆる苦しみに三十三身で対応できるなら、煩悩の数もそれほど多くないのではないか、と思ったりする。観音菩薩には千本の手を持った千手観音と呼ばれる菩薩がいる。千本の手にはいろいろなものを持っていて、人々の苦悩を取り去り、願いをかなえてくれるらしい。千本はどんなことにでも対処できるという意味だとすると、千の煩悩ということにしてもおかしくないはず。「百害あって一利なし」という諺がある。この百は数えた数ではなく、害はいっぱいあるが少しの利もない、と解釈すれば、百をたくさんと同義語と言えるが、百八まではまだ開きがある。本のタイトルに101を冠したものが多い。例えば101 ideas for ~ など。アイデア満載といったところだ。ただし、この数字はマーケティング手法に基づくもので、いわゆるサンキュッパ(3980)の逆理論で、100より少し多いプラスアルファをイメージさせるものとして使われている。人の欲に付け入るということでは、煩悩の一つではないかと思うが、百八には関係がなさそうだ。
 これも根拠のないことだけど、人には平均して百八の煩悩を持っているものだから、いや多くても百八つだから、という理由なのかと私なりに考えた。第一、煩悩を千もお持ちの方のために、除夜の鐘を千回撞くのは大変でしょう。
 今年も大晦日には、除夜の鐘で心の大掃除をして、新年を迎えたいが、果たして百八つで足りるかどうか心配だ。

日本の名刹・古刹 除夜の鐘(4 [VHS]
NHKソフトウェア
2000-12-01
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