テーマ:回想

封印(広告塔)

 私は「今日は気分が乗らないのでもう帰ろう」と友達に言って慎重に骨組の桟をつたって塔を降りた。よくよく考えてみれば、あの時、前を走る女性は子供の手を引くこともせず、振り向きをせず、一目散だった。女性と子供、親子か何か、なんらかの関係あるものと勝手に思い込んでいたが、全く関係のない別のものをその時同時に見ていたのかもしれないと気付いた。友…
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スナック

 また、新宿の駅まで戻った。当時は新宿発の夜行のスキー列車があった。逆に信越から新宿行の夜行列車は早朝に新宿に着いた。そんな関係なのか、ホームには顔を洗えるような水道の蛇口と鏡が付いた洗面台のようなものがあった。私はそこで、顔を洗ってから山の手線に乗った。雨も止み、朝日が差し込む列車の中はぽかぽかと暖かい。電車の揺れも心地よく、睡魔はす…
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長い夜

 信用がなかったのは、生活に必要な身の回りの物を紙袋に入れて持って歩いて、いかにも浮浪者の風体であったためと思う。面接と言っても卵丼を食べながら、世間話をしただけで、体よく断られた。今まで住み込みのアルバイトを捜したことはなかったが、アルバイトを断られたのは初めてだった。一つ断られたからといって、また友達のところへ戻って居候をするのも情…
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新聞販売店

 住み込みのアルバイトは限られていた。思い付いたのが新聞販売店だった。新聞の求人広告に出ていたが、新宿からは少し遠かった。電車賃もバカにならないほど窮していた。でも、条件を選んでいる時でもない。思い切って行ってみることにした。私鉄の郊外の駅から、しばらく歩いたところにあった。書店の立ち読みで地図を見て、目的の販売店までの道と方角を頭に入…
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新しいもの好き

 父も新しい物好きで、東海道新幹線が開通してまもなくだった頃、新大阪から京都まで乗せてくれた。京都のどこか見物をする目的があったわけでもなかった。ただ、新幹線に乗るためだけに新大阪と京都を往復しただけだったように思う。私がせがんだこともないが、子供をだしにして、きっと父が乗りたかったのだろう。大阪万博にも家族で行った。テレビでは連日、イ…
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深夜の踏切

 甲州街道は深夜でも交通量が多く、特にトラックが多く走るような気がする。道幅も広く、ここを横切るのはいつも緊張する。京王線の踏切は昼は電車の本数が多く、よく閉まって待たされることが多いが、夜になるとそれほど多くない。友達としゃべりながら歩いていると、つい話に夢中になっていて、遮断機が開いたことも気が付かないで、踏切の前で立ち止まっていた…
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アパート

 6帖一間のアパートは木造2階建てで、甲州街道沿いではあるが、街道からは少し入ったところに建っていた。街道に面しているところには、8階建てのマンションがあり、その後ろにひっそりとそのアパートがあった。私がそこで暮らしていたのは、1年ほどの間だった。京王線の駅を降りて、甲州街道沿いに歩いて、マンションの手前の道を入ったすぐのオンボロアパー…
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家族旅行

 家族旅行と言えるものは、数えるほどしかしていない。父が亡くなった時に、私の育った家族全員での旅行は二度とできないものになってしまった。それまでは、兄弟が揃うと、いつかまた家族全員で旅行したいね、という話になったが、その話題はもう出てこない。父は性格的に几帳面で、旅行の計画は時刻表を基に綿密だった。ただそれは計画の話で、実際の旅行中とな…
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声の主

 病院では、すぐに傷口を縫うことになって、その先生は手際よく麻酔をかけて、縫っていった。今思えば、傷跡が残るなど考えることもなかった。私の場合、特に足の甲で靴下を履けば隠れる場所なので問題はなかった。消毒をしたり、包帯を取り替えてもらったり、抜糸をしたりで、しばらく病院に通ったように思う。母はパートに出ていたので、いつも姉ちゃんが病院に…
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病院

 いつもと同じように、その建築中の場所に行き、友達と遊んでいた。大工さんはそこにはいなかったので、日曜日だったと思う。友達は数人で、その時にいた友達が誰だったか今は思い出せないが、私がその時、小学校の4年生で、1つ下の近所の友達や6年生のお兄ちゃんもいたように思う。その建築中の家は柱が立っていて、骨組みがやっと出来上がってきたところで、…
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大工

 大怪我というのも大げさかもしれない、でも、いままでの人生で何針も縫ったのは、その怪我以外にない。私の住んでいた住宅の周りには、田んぼや畑、里山と言われる雑木林、それに川や池といった自然に溢れた環境だった。中でも広いぶどう畑は、ぶどうの季節が終わると恰好の遊び場となる。ところが、その季節はいつもと違った。ぶどう棚が取られ、ぶどうの木が切…
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住宅地図

 電話で他の営業所と話をしていた上司から呼ばれた。良い話ではないことは分かっていた。荷物を扱っている会社は自社の書類や荷物もお客様から預かった荷物と同様に運んでいる。お客様の荷物を途中の中継する営業所で自社の書類と間違えて、そのまま倉庫に仕舞ったらしい。倉庫を整理しているときに発見されたが、お預かりしてから、半年ほど経っている。そこで、…
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事件

 東京に住んでいた時、田舎から母が出て来た。子供は3才ぐらいだった。孫の顔を見に来たのだろう。それに合わせて子供(私)の生活を見に来たのだろうと思う。荷物を持っての旅行は大変なので、到着した日に届くように荷物を送っていた。ところが、到着した日の夕方になっても届かない。業者に連絡したが、まだ、配送先には届いていないという。もうすぐ届くと思…
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悲劇(結末)

 よくよく考えたら、こんな滑稽なことはない。悲劇でもなんでもない。手紙などと回りくどいことを考えずに当たって砕けていればよかったじゃないか。やはり努力虚しく空回り、の教訓になっただけか。自分を笑う、自分を責める言葉がつぎつぎと限りなく湧き出てくる。  月末締めの10日支給ということだったので、アルバイトを月末にやめても翌月の10日にし…
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恋文

 今のように携帯電話もメールもない時代だったから、直接話すか、それができなければ、手紙を書くかしかない。彼女を目の前にして、何をどう話し出してよいかわからない。それが芝居のせりふのように決まったものを暗記したところで、声が音になって出てこないだろう。さもなければ、調子の外れたうわずった声で自分でも聞くに耐えないことは目に見えている。そこ…
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ベーカリー

 どの時代も同じだと思うが、こどもの頃から多くを学習し、それを積み重ねている。その学習という教訓の中には合理的で納得できることもあったが、どちらかというと不合理で納得のいかないことの方が多かった。こちらがこれほど気にかけているのに、その人は別の人の方ばかり向いている。私はいつも中途半端で、努力はしているつもりだけど、空回り。そしてそれは…
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石ころ

 学校の図書室で借りた図鑑には、それらしい石は載っていなかった。と言うか、図鑑の引き方が分からないだけだった。大まかな分類ができなければ到底どこから見てよいか分からないし、最悪たどり付けない結果になる。そんな訳で、私の場合は全くお手上げ状態だった。友達の方はそれなりに努力をしてみたようだったが、結果は私と同じだった。結局、理科の先生に訊…
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不思議な石

 近所の同級生は三人とも女の子だったので、私は一つ下の男の子三人とよく遊んだ。その中の一人は理科系だったので、私と話が合って特に仲が良かった。ただ性格は違っていた。同じ理科系でも、彼は私にない化学分野に強かった。ある日その彼と二人でそれぞれの自転車に乗って他愛のない話をしながら、どこへ行く当てもなく走っていた。田んぼのあぜ道を通り、竹林…
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青ヶ池

 googlemapは遠い昔の地理を思い出させてくれることがある。小高い山を上り、獣道を進むと真っ青な水をたたえた大きな池に出た。池の回りはうっそうとした森を成していた。私は小学生の時、中学生のお兄ちゃん達から、その神秘の池の存在を噂で聞いたことがある。名前も「青ヶ池」と言った。その池の水の色は綺麗というより不気味なくらい青い、それが神…
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湯沸かし器

 高校の同級生の友達というのが、中学卒業後、土建屋で働いていた。当然我々より一足早く社会に出ているので、同じ年であったがもう立派な大人と映った。その人が、仕事を手伝ってほしいと持ってきてくれたアルバイトが、古い団地の台所の床の張替えだった。割れたり剥がれたりしているPタイルを一度全部剥がして下地を補正してからPタイルを張り直す。私は下地…
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赤ちゃん

 すべてが同じようにこの世に生まれ来るとは限らないことは、頭では理解しているが、少し違っているだけで何かと影で言われる場合がある。そんなことを母から聞いたのはいつだったかもう忘れた。私の近所には同級生が二人いた。どちらも女の子で、母に言わせるとよくこの二人とままごと遊びをしていたらしい。私は全く記憶にないが。そのうちの一人が生まれた時の…
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魚釣り

 私の里は、昔、自然が豊富だった。田んぼや畑も多かったので、池はどこにでもあった。川や池で遊ぶことも多かった。父には何度か池に魚釣りに連れて行ってもらったことがある。竿は竹竿だった。餌はアカムシ、ミミズ、うどんなど。当時を振り返ってみるが、全く魚釣りに興味を持たなかった。灌漑用の溜池にもともと魚などたくさんいる訳はなかった。水田に水を入…
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巡礼

 それから、相棒に誘われるままに、那智山に登った。ここには、那智大社と青岸渡寺が並んであり、もともと神道と仏教の合体信仰があった。明治維新に神仏分離になっている。そのお寺の方、青岸渡寺は、本尊を如意輪観世音菩薩とし、西国三十三所巡礼の一番札所になっている。相棒はこの巡礼を既に始めているが、未だ全ての霊場を廻っていない。何が巡礼に向かわせ…
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温泉

 仕事の都合で現地で泊まることが多くなったが、私と相棒が一緒に泊まる時は温泉旅館になる。紀伊半島の南側、南紀は南紀白浜、串本、紀伊勝浦と温泉地が海岸線に沿って広がっている。また、少し内陸に入ると、熊野古道沿いに龍神温泉、川湯温泉、湯の峰温泉、渡瀬温泉などがあり、どこに泊まるにしても温泉がある。内陸に入ると鉄道がなく、移動にはバスや車にな…
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相棒

 私の一緒に新しい仕事をすることになった相棒は、やはりこの人とならと思う人になった。地域を分担して仕事をすることになっていて、私とその相棒の二人は南大阪から和歌山を担当することになった。また、そこで私が単身赴任をしていた職場にも巡回することになり、H君とも顔を合わすことになる。H君とは東京で一緒に仕事していた人で、私がUターンで里に帰る…
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ベビーブーム

 ベビーブーム、少し古い言葉になるかもしれないが、所謂団塊の世代が生まれたころの話だ。少子化と叫ばれ、高齢化と合わせて社会に対するいろいろな影響を考えさせられる。少子化対策の一つにこども手当てがある。ベビーブームの時代にこども手当てが政府から支給されていたのだろうか。何でもお金が解決してくれまい。今世界的には人口が爆発しているが、誰かが…
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単身赴任

 管理者になって始めての異動が、単身赴任だった。内命を貰った時は、唖然としたが、これも運命と諦めた。赴任先は和歌山県の片田舎の町だった。以前私の部下だったA君が誤って給与から保険料の天引きをしたH君の転勤先だ。(詳しくは「給与明細」12.17のブログ参照)  彼もUターンなので、東京から転勤になった時はもう二度と会わないだろうと思って…
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懺悔(ざんげ)

(無言電話12.25からつづく)  もちろんその日は何も手に付かなかったし、何も考えられなかった。一日中、鉛筆を持つ手が振るえているのが自分でもわかった。一つ確信したことは、もう明け方のあの電話はかかってこないということだった。Iちゃんには勤務があって、東京まで弔問に行けないので、香典を出しておいてと頼んだ。勤務が終わって家に帰って妻…
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I(アイ)ちゃん

(無言電話12.25からつづく)  状況は変わらなかった。一日空けたと思うとまた連続して鳴り出す。2、3日鳴らなかったこともあったと思う。もう数えていなかった。妻はその電話の当番のようになっていたが、ついに堪忍袋の緒が切れた。今度鳴ったらあなた出てよ、私だからしゃべらないかもしれない、あなたが電話に出たら相手はしゃべるんじゃないの、と…
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無言電話

 私の生まれ故郷のこの地に戻ってから、もう相当の年月が経つ。私の原点と言えば原点である。だから戻って来たときは、一つの区切りをつけられたし、リセットしたような気になっていた。仕事は役職が上がるに従ってだんだん厳しくなっていく。上から求められることも多いが、部下に求めることも多くなる。中間管理者の宿命みたいなものだろう。別に特別なことでは…
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