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OKedok
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古き良き時代は確かにあったはず。
物、お金に関係のない心の豊かな暮らし。

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十人十色
十人十色  最近はナンパ野郎などの言葉がもう死語になってしまって、聞かなくなった。軟派や硬派と言われていた時代の私はどちらかと言えば硬派の方だった。二者択一の論法は、単純でわかりやすく今でもよく使われる。犬派と猫派、文科系と理科系、草食系と肉食系など思い付くだけでもいろいろ出てくる。まず自己分析からすると、自由で気楽な猫派で、答えはできるだけ一つがいい理科系で、がつがつできない草食系だと思う。私のことを知っている人がいれば、そうではないだろうという意見もあるかもしれない。同じように他人の様子を観察していて... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/05/17 23:45
ハレー彗星
ハレー彗星  いよいよ今月21日には、金環日食が見えるというので大変楽しみにしている。自称天文少年であった私としては、こういう天文ショーの話題になるとわくわくする。もしうまく写真に撮れれば、このブログで公開したい。20年ぶりの金環日食となるが地域が限定され、いつも日本で見られるとは限らない、私はまだ見た記憶がない。それも、海外でも出かけて見ようと思えば、一生の内に何回かは見られる計算にはなる。ところが、ハレー彗星のように76年周期で地球に近づくものを見ようと思えば、一生の内にあるかないかである。前回の接近で... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/05/11 23:30
借りた傘
借りた傘  それから、何日か続けて喫茶店の前まで行ったが、最後に張り紙が「都合により閉店させていただきます。」に変わっていて、もう二度とママにも会えなし、傘を返すことはできないだろうと漠然と思った。もし、同じ場所で同じような店が開くようになれば、以前のオーナー(ママ)の消息を尋ねられるかもしれない。そんな期待もあったが、すぐにその喫茶店から足は遠ざかっていった。その後の消息を知ったところで、私にも私達にも何の影響も与えないと思っていた。学校を卒業した後は、通学路にあったその店のことなど、思い出すことなどな... ...続きを見る

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2012/04/29 02:48
こたつ
こたつ  私はどうしてもクリスマスの時のママと男のことが気になり、みんなに話していいものかどうか迷った挙句、思い切って見たままを話すことにした。どんな反応があるか興味があった。知ったかぶりの一人は、「そりゃそうさ、70近いおじいさんも、自分よりずっと若い20代の人にも、みんなお兄さんだよ。水商売だもん。」と言いながら、私に向かって、お前はうぶだな、という顔をした。男の特徴を話すと、その男を見かけたことがあるともう一人が言い出した。スナックの前を通りかかった時、回りを気にするようにきょろきょろして、すっと... ...続きを見る

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2012/04/28 01:44
雑魚寝
雑魚寝  パーティも2時間程度で笑い疲れ、ママとの約束の貸切時間もあって、終わることになった。私が家を出てくる時は晴れていたが、今は雨が降っている。友達は出かけるとき既に今にも降りそうな天候だったらしく、みんな傘を持って来ていた。「良いお年を」と冗談半分に口々に言いながら、傘をさして出て行った。彼女と来た奴は相合傘で出て行った。私は最後に飾り付けを取り外し、袋に積めて、ママに礼を言って出ようとした。雨はみぞれになっていて、風も吹いる。凍えそうだ。ママは傘をさしていきと言って、傘を渡してくれた。パーティの... ...続きを見る

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2012/04/26 00:46
雪が降る
雪が降る  間違って入って来た人かとも思ったが、そうでもなさそうで、この人は入口に書いてある張り紙を読めなかったのか、とも思った。ママが「あら!」と声をかけたので、知り合いだと分かった。男はカウンター越しにママとひそひそ話を二言三言したあと、ママがレジからお札を取り出し、その男に渡した。男はポケットにお札をねじ込んで、「じゃー」と言って出て行った。私はそのいきさつや背景には関心がなかった。いま見たことは、大人の世界のこと、私には関係がないこと、と割り切った。ところが、ママはそんな私に向かって、「今の人はね... ...続きを見る

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2012/04/24 22:57
クリスマスパーティ
クリスマスパーティ  夕方の早い時間帯を貸切にして使わせてもらうことになった。店からは紅茶とケーキを出してもらうことにして、金持ちの子はいないと知っていたので、ママもそれなりの料金しか請求しなかった。店内の飾り付けは、役割分担で私がやることになった。体育祭で使ったモールの余りがあるので、それを学校から持ち出して使うことにした。クリスマスイブの当日は、みんなより少し早く来て、飾り付けなどの準備をするので、店を開けてほしいと、ママと時間の打ち合わせをした。  ママとの約束の時間に店に行った。ママは既に店を開けてくれて... ...続きを見る

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2012/04/22 23:06
スナック
スナック  また、新宿の駅まで戻った。当時は新宿発の夜行のスキー列車があった。逆に信越から新宿行の夜行列車は早朝に新宿に着いた。そんな関係なのか、ホームには顔を洗えるような水道の蛇口と鏡が付いた洗面台のようなものがあった。私はそこで、顔を洗ってから山の手線に乗った。雨も止み、朝日が差し込む列車の中はぽかぽかと暖かい。電車の揺れも心地よく、睡魔はすぐに私を襲った。  高校生の時、通学路に商店街があった。洋服屋、魚屋、酒屋、肉屋などの個人商店が軒を並べていた。学校の帰りにその肉屋で、揚げたてのコロッケを買っ... ...続きを見る

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2012/04/20 23:57
雨の歩道
雨の歩道  私はその喫茶店の一番奥のテーブル席で入り口に背を向けて座った。お冷を持ってカウンターから出てきたママにホットコーヒーを注文した。時間はもう2時を回っていたと思う。3時近かったかもしれない。でも、夜明けまではまだまだ時間があった。夜が明けたからといって何かをするという目的もないが、とにかく世の中が動き出せば何かあるだろう程度の期待感だった。店の新聞を広げて政治経済面を読んでいる振りをしていると、ママがサイフォンで入れたコーヒーを持ってきた。ママはローヒールのサンダルをペタペタ鳴らしていたので、す... ...続きを見る

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2012/04/17 22:16
長い夜
長い夜  信用がなかったのは、生活に必要な身の回りの物を紙袋に入れて持って歩いて、いかにも浮浪者の風体であったためと思う。面接と言っても卵丼を食べながら、世間話をしただけで、体よく断られた。今まで住み込みのアルバイトを捜したことはなかったが、アルバイトを断られたのは初めてだった。一つ断られたからといって、また友達のところへ戻って居候をするのも情けない、と思い、もうすこし頑張ることにした。渋谷まで戻ってきて、町をぶらぶらしていた。みんな目的があって急ぎ足で歩いているが、私一人が目的もなしにぶらぶらしている... ...続きを見る

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2012/04/15 00:31
新聞販売店
新聞販売店  住み込みのアルバイトは限られていた。思い付いたのが新聞販売店だった。新聞の求人広告に出ていたが、新宿からは少し遠かった。電車賃もバカにならないほど窮していた。でも、条件を選んでいる時でもない。思い切って行ってみることにした。私鉄の郊外の駅から、しばらく歩いたところにあった。書店の立ち読みで地図を見て、目的の販売店までの道と方角を頭に入れておいた。初夏のころだったので、お日様は高かった。ちょうど昼頃で真上からの日差しは日陰を作ってくれなかった。両手には大きな紙袋を下げているので、頭に何かかぶせる... ...続きを見る

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2012/04/10 23:47
朝風呂
朝風呂  京王線の明大前に住んでいたことがあった。住んでいたといっても、友達のアパートに居候をしていただけで、自分で間借りして、自立していたというものではなかった。その友達も大学生ではなく、この明大前あたりには学生が多く、それなりの家賃の安いアパートがあったので、ここに住んでいたのだろう。もちろん風呂などなかったので、銭湯に行くのだが、私はそれまで銭湯というのは夕方に開くものと思い込んでいた。アパートに近い銭湯は午前中に開くので、朝風呂が入れるのだった。居候で朝風呂など贅沢な暮らしだった。朝風呂に入る客... ...続きを見る

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2012/04/07 23:12
新しいもの好き
新しいもの好き  父も新しい物好きで、東海道新幹線が開通してまもなくだった頃、新大阪から京都まで乗せてくれた。京都のどこか見物をする目的があったわけでもなかった。ただ、新幹線に乗るためだけに新大阪と京都を往復しただけだったように思う。私がせがんだこともないが、子供をだしにして、きっと父が乗りたかったのだろう。大阪万博にも家族で行った。テレビでは連日、イベントや入場者数を発表していて、学校でも絶えず話題になって、一度は行かなければ話の輪に入れない状況だった。アメリカ館の月の石を見てきた者は得意気になってしゃべり、... ...続きを見る

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2012/04/01 22:35
深夜の踏切
深夜の踏切  甲州街道は深夜でも交通量が多く、特にトラックが多く走るような気がする。道幅も広く、ここを横切るのはいつも緊張する。京王線の踏切は昼は電車の本数が多く、よく閉まって待たされることが多いが、夜になるとそれほど多くない。友達としゃべりながら歩いていると、つい話に夢中になっていて、遮断機が開いたことも気が付かないで、踏切の前で立ち止まっていたりする。稀にそんなことがあって、やはりそれは友達との楽しい会話があってのことと思い込んでいた。ところが、夏の夜で扇風機をかけながら寝ようとしたが、なかなか寝付けな... ...続きを見る

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2012/03/28 02:38
アパート
アパート  6帖一間のアパートは木造2階建てで、甲州街道沿いではあるが、街道からは少し入ったところに建っていた。街道に面しているところには、8階建てのマンションがあり、その後ろにひっそりとそのアパートがあった。私がそこで暮らしていたのは、1年ほどの間だった。京王線の駅を降りて、甲州街道沿いに歩いて、マンションの手前の道を入ったすぐのオンボロアパート、と順路を説明するとわかりやすい。ところが、いつもマンションまでしか説明しない。職場で友達になった人に、本やレコードを貸してやるから、休みの日においでよ、などと... ...続きを見る

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2012/03/24 23:41
家族旅行
家族旅行  家族旅行と言えるものは、数えるほどしかしていない。父が亡くなった時に、私の育った家族全員での旅行は二度とできないものになってしまった。それまでは、兄弟が揃うと、いつかまた家族全員で旅行したいね、という話になったが、その話題はもう出てこない。父は性格的に几帳面で、旅行の計画は時刻表を基に綿密だった。ただそれは計画の話で、実際の旅行中となると、列車に飛び乗ることはざら、昔、汽車が引く列車はドアが開いていたので、そこから飛び乗る。混雑する帰省列車の自由席は列車がホームに入ってくると、それまできちんと... ...続きを見る

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2012/03/21 23:05
声の主
声の主  病院では、すぐに傷口を縫うことになって、その先生は手際よく麻酔をかけて、縫っていった。今思えば、傷跡が残るなど考えることもなかった。私の場合、特に足の甲で靴下を履けば隠れる場所なので問題はなかった。消毒をしたり、包帯を取り替えてもらったり、抜糸をしたりで、しばらく病院に通ったように思う。母はパートに出ていたので、いつも姉ちゃんが病院に連れて行ってくれた。考えてみると、遠くに嫁にいった姉ちゃんにはたまにしか会わないが、迷惑を掛けたんだなと思う。少しずつ歩けるようになった。長く休んでいた学校にも行... ...続きを見る

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2012/03/19 01:27
病院
病院  いつもと同じように、その建築中の場所に行き、友達と遊んでいた。大工さんはそこにはいなかったので、日曜日だったと思う。友達は数人で、その時にいた友達が誰だったか今は思い出せないが、私がその時、小学校の4年生で、1つ下の近所の友達や6年生のお兄ちゃんもいたように思う。その建築中の家は柱が立っていて、骨組みがやっと出来上がってきたところで、柱と柱の間の基礎の部分を渡って鬼ごっこのようなことをして遊んでいた。誰かが「あっ!」と声を出したのでそちらの方を向いた時は、もう既に立てかけてあった材木が私の方に... ...続きを見る

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2012/03/16 05:07
大工
大工  大怪我というのも大げさかもしれない、でも、いままでの人生で何針も縫ったのは、その怪我以外にない。私の住んでいた住宅の周りには、田んぼや畑、里山と言われる雑木林、それに川や池といった自然に溢れた環境だった。中でも広いぶどう畑は、ぶどうの季節が終わると恰好の遊び場となる。ところが、その季節はいつもと違った。ぶどう棚が取られ、ぶどうの木が切られていく。ブルトーザーが入って整地されていくと、もう更地になった。次に区画された土地を区切る道路ができていく。その時の道路はまだ一般的には舗装ではなく砂利道だっ... ...続きを見る

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2012/03/10 00:16
名医
名医  小さい時から病院などほとんど縁がなかった。病気も怪我もしなかった訳ではないが、病院へ行くほどのことはなかったというだけだったかもしれない。治療と言えるかどうか分からないが、薬を塗ったり、ちょっとした手当てをするのはいつも父だった。最近まで、他の家も同じようなものと思っていたが、それぞれ家庭によって違うことが分かってきた。だから断っておくと、当時の我が家のことである。私はよく扁桃腺を腫らしたようで、父によくルゴール液を塗られた。父はサラリーマンだったが仕事が忙しく、薬を塗られるのは父が会社から帰... ...続きを見る

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2012/03/07 23:33

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